あなたっていつも荘

箸にも棒にもかからぬ生きた証と観劇記録を記してます

1221 「語りの複数性」行ってきた

「語りの複数性」@東京都渋谷公園通りギャラリー に行ってきた。

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展示の導入。

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「世界をとらえる複数のありようが共存する場」で「自分とは違う感覚や経験を持つ他者とその複雑な内面世界を共有しようとする試み」とあった。

具体的にどういうことかというと、自分なりに受け取ったものをメモする。はじめの部屋には、写真絵本『はじまりのひ』から抜粋された数枚の写真が、ゆるく湾曲した白い壁に飾られている。

私は写真の情報をそのまま受け取るくせがあって「あぁスズメだな」とか、ぼけた光は「朝露みたいだな」とか、そういった感想しか出てこず、「みんなもっと高尚な見方をしているんだろうな」と歯がゆい気持ちで回っていた。美術館初心者あるあるの、鑑賞における正解を探してしまうやつ。そのあと、目が見えない人たちが写真を観たあとに交わした感想を読んだ。それに、なんて豊かな鑑賞体験なんだろうと感嘆した。

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可能性の海に飛び込むような感じ。そして単純だけど、色んなことを考えていいんだなと思えて、一気に楽しくなった。

展示の目的には、「他者への寛容さを獲得する」があると書かれていた。その一歩は、他人とは違う自分の思いを認め、差異を受け入れる、自分への寛容からスタートするのではないかと感じた。

このように展示では、作品を観て想像し、多様な視点に触れられる構造となっていた。全体を通して1つ1つの作品に立ち止まって、思いを馳せたくなるような展示だった。音声ガイドも、鑑賞者たちが思ったことを交わし合う作りになっていて、おもしろかった。オススメ

inclusion-art.jp

以下、個別の感想メモ

小島美羽さん

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展示室に入った目の前の壁に小さなスペースがあって、《ごみ屋敷》が浮かんでいたから、意表を突かれた感じでおもしろかった。はじめ、この作者はミニチュア作家さんで、部屋をテーマに制作をはじめたのかなと思って、不思議だな、《遺品の多い部屋》なんかは祖母の家に似てるなとみていた。しかし、実は小島さんは遺品整理や特殊清掃の仕事に就いており、孤独死の現実を伝えるためにミニチュアで部屋を再現しはじめたらしい。なのでこの部屋たちは、小島さんがかかわってきた清掃現場の特徴が反映されていて、こういう部屋に実際に死体があったということだ。と思うとすごく生々しくザワザワして、観るのが怖くなった。

《ごみ屋敷》には身体が埋まってしまうほどゴミが溜まっていたのだけど、包み紙や雑誌などたくさんのゴミを(作品を構成しているものなのでゴミではないんだけど)一つ一つ作ったのかと思うと不思議な感じだった。《終の棲家》なんかは経験したこともないのに、分かるかもと思った。

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岡崎莉望さん
見えているものをそのまま描いていると知って驚いた。目を閉じたときに浮かぶ万華鏡みたいな光の線をそのまま覚えて描いてるのかな…なんて想像した。

小林沙織さん《私の中の音の眺め》
例えば海をみて、景色から感じたものを作品に落とし込むのではなくて、音を聴いた時に浮かぶ情景や形を記録しているというのが、自分の習慣とはなかなか遠いところにあって面白いと思った。しかもその音というのが何も文脈のないところに存在したらすごく単純なんだけど、色や形がつくことでもっと豊かなイメージへと繋がっていくのがすごい現象だと思った。

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大森克己さん 《心眼 柳家権太楼》
落語の古典演目『心眼』を演じる柳家権太楼を写真で捉えたもの。『心眼』にかなり興味を持った。

全盲の梅喜は、念願叶って目が見えるようになり、妻や自分の容姿に対する他人からの評価に振り回されるようになる。やがて全ては夢だったとわかり、妻に諦めずに目を治そうと諭されるが、梅喜はそれを選ばず、サゲ(オチ)を迎えるという内容。

自分の体型に自信が持てず振り回されてきた自分にとって、この落語は通じるものを感じた。一度見てみたい。

山崎阿弥さん《長時間露光の鳴る》
聞こえてくるのは渋谷から連想しないような音で、どこでもない場所に来たような気分だった。「聞くという行為は、語るという行為に他ならない」という言葉が印象深かった。

百瀬文さん《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》
声を明け渡すような試みというのにはっとした。百瀬さんの口の動きを読み取ろうとしたが私には無理だった。唇と文脈から言葉を考えるというのはとてつもない技術だと思った。字幕がなければ私はこの会話に参加できなくなる。こうなれば言語優位でありえない